手提猫のごろごろごころ

手提猫の感想・雑想・備忘録

阪神淡路大震災 10年

あの日から10年、様々に特番も組まれてるので嫌が応にも意識せざるをえないし。
今のクルマに乗り出して半年目、松山から大阪まで帰らねばならなかったあの日、通行止めで高速道路を見知らぬところで下ろされ地図とにらめっこしながら道を選び選び帰ったなぁ。14時間ドライバーズシートに乗りっぱなし。根っこが生えたかと思った。


1/16(休) 14日から陸路を走り、父と大分のばあちゃんちを訪れていた。阿蘇を巡ったりした。16日、父を大分のばぁちゃんちに残して一人佐賀関から四国を経由し大阪へ帰ろうと思い、出発。松山で一泊して帰ろうと、ビジネスホテルを予約して一路松山へ。瀬戸内海沿いの道路を走ろうと道をたどると蜜柑畑のクネクネ山道。なかなか度胸のつく行路。やっとのことで松山道後温泉横手のビジネスホテル着。もう日は暮れていたけど道後温泉や、路面電車で市内を回ってみたりして。17日は会社は休みを取っているのでゆっくり帰るつもりで就寝。

1/17(火) 早朝。ホテル。目が覚める。直後大きな揺れ(確かに目覚めた後だった)。確実にこちらが震源だと思い、テレビをつける。地震速報では兵庫・神戸あたりが一番揺れてるような。でも特にこれといった情報はなし。適当に朝食をホテルの和食屋でとって早々に出発。瀬戸大橋が通行止めになったという情報もない。一人大阪で留守番している母とも連絡が取れない。電話は不通。ラジオをつけて高速道路を一路大阪へ向かうが、山陽自動車道・中国自動車道が途中で通行止めになってる模様。瀬戸大橋を渡らずに徳島に行って徳島から大阪に渡ろうかと、(当時徳島までの高速道路はなかった)途中それっぽい出口「新宮」で降りるもこれがまたいわゆる山中「村」、で(今見るとなんで新宮なのかが謎だわ)どうしようもなく森林道をうろうろ。やっと国道に出たら今度は「雪」でこのまま徳島には抜けられないと判断。再度高速道路に乗って瀬戸大橋を渡る。山陽自動車道を東進するも姫路手前の竜野西ICで下ろされる。地図を見もって少しずつ進むが幹線道路はすでに渋滞しており、うんともすんとも。抜け道をたどり、このままではらちが明かぬと、神戸あたりをぐるーーーっと大きく迂回するルートをたどる(とはいえ地図を見ながらだけど)。結果的にはそれがよかったんだけど、ラジオからは最初、垂れ下がった電線に引っかかった人が亡くなったという情報だけだったけども次々に只事ではない情報が入ってくる。22時、大阪枚方着。母が一人無事でいた。やはり大阪でも結構揺れたそうで。でも帰る途中、パチンコ屋も普通に営業してたなぁ。と妙に覚えている。
結果、あれだけの未曾有の災害をつい身近に体験してしまった由。当事者にはならなかったけども、それについては多くの報道やらで広く伝わっていると信じたいなぁ。
その経験から当時やっと普及しだしたカーナビをつけようと決心した。

そんな行程を共にしたクルマ。色んな思い出、愛着もあるしよく走るから手放すのも考え物なんだけどね〜。悩ましいところですな。